今日は久しぶりに展覧会をいっぱい見た。
久しぶりに会ったちゅうたと丁度アートについて昨日夜話しをしてて、今日見た「アート」と「建築」は、かなり考えさせられたな。
前みむしゅんと話をした時も、芸術って一体なんなのかを再考してたのと似てる感覚。
芸術って、アートって、言い訳や逃げ道になっていないか。とそんなトークをした。
現代アートを理解できない私は、ずっとそこに違和感を持ってたんじゃないかって、今日ははっきり思えた。
そもそもアートも何も、作品と定義するのも、何でもない落書きと定義するのも、私は結局全部同じ物差しで測っていると思った。
私のその物差しは、時間、体験、思いの三つで構成してると思う。
現代アートを好きになれない、響かない理由もそこにある。
昔の油絵やデッサン、彫刻。私は完全にそれらの美しさを理解できると言える訳ではないけど、彼らは美しいと思える。だって、見えてくるのは目の前の作品だけじゃなく、その裏の歴史や、それにかけた作者の時間と思いだから。
その意味で、現代アートが私に魅力的ではない理由は、その作品に、作者の「心」がたりてないのかもしれないと思った。
作品を構成するのは、作者が生きて来た分の人生そのものだから。