平和

 

神戸の親友が数日東京にきていて、一緒に美術館や建築を見に行って、色んな事の話をした。

その中で一番感じたのは、私はいつも彼女に客観的なアドバイスをしている時、自分の中の自分が持つ考えや思考が明確になって行くこと。

彼女の視点と私の視点と社会の視点、全部を含めて物事を考えると、自分の立っている場所、自分が行きたい場所、と言った物がよく見えてくる。

他人が抱えている迷い、もし自分は体験済みなら、自分はどうやって答えたに辿り着いたのか、もし体験していないのなら、自分はどう解決しようと思うか。

「私はこう思うよ」と言えば言う程、自分の中に「私はこう思ってるんだ。」と初めて認めて知る感情が多い。

Art of Designのドキュメンタリーの中で、Bjark Ingelsが話した一言がずっと心の中に残っている:

「いつだって、自分は何を一番大切だと思っている事さえしっかり分かって入れば、どこで何をしようが、私達は自分の行きたい場所へ、間違いなく向かっている。」

彼の言葉はこうじゃなかったが、これが私の理解と共鳴の部分だ。

私は何を大切にしてる?

「平和」。

世界平和や国の平和や、家庭の平和と言う感情の平和ではない。

「1」が単位の平和。

一人一人の人、一つの命、生き物として、その個体の内側から生まれる平和。

それが私のこの28年間生きて来て、見つけた、私が一番大切にしてる事。

それは、私が今までやって来た全ての事においてのキーワードであり、理由であり、目標であり、行き先である。

まずは自分の中の平和を見つける、生み出す、呼び起こす。

そして、人の中の平和を見つける手伝いをしたい。

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あり方

 

今日は映画「ジャスミン旅館」のオープニング曲のレコーディングをした。

ヘッドホンから自分の歌声を聞くたび、歌う楽しさが少しずつ増える。

自分が出来る事、自分が出来ない事、自分が出来ると思ってたけど出来なかった事、自分が出来ないと思ったが出来てしまった事。

可能性と限界をどっちも少しだけ前回より知ると言う事は、つまり自分をもっと知る事になる。

この映画で一緒に仕事して来た西條さんとトッシュさんは、いつもの様に優しく、これからも仕事を一緒にしたいと思わせてくれる。

トッシュさんはレコーディングの時いつもいっぱい褒めてくれる。実際は、褒められる事が嬉しいと言うより、トッシュさんの心がけている優しさに喜びを感じる。

歌の事や表現の仕方は、きっともっと難しい事をいっぱいしてるのに、私の理解と表現をほぼ全部受け入れてくれた。それが自信と、一緒に仕事をする楽しさと、楽な気持ちに繋がる。

人を褒める事って、本当に大事だなって、改めて感じさせてくれた。

私は人に優しくされて優しさを憶え、悪くされ、してはいけない事を今まで覚えて来たと思うけど、今日も良い勉強をさせてくれた。

10年前の自分へ

 

4日のライブを見ていた時、頭の中でふと、10年前の自分と今の自分の巨大な変化に気づいて、もし今の自分から、あの時の自分に何か言えるとしたら、何を言うんだろうと考えた。

「思うままに心と体を動かして、怪我して、傷ついて、感動して、体験するままに、体験してほしい。」と思った。

つまり、この10年歩んで来た道をそのまま歩んで欲しいと思えた。

今の自分から言えば、色んな所で、大きいステージへ進む分かれ道もあれば、すごい成功への近道もあったはず。だけど、そっちには行って欲しくないと強く思った。

成功はただの一つのステージだ、そのステージに行くまでの体験の方が私は大切だと思う。

ステージに立つ事は誰にだってできるし、つまり、誰にだってすぐ奪われて当然の事であり、元々そう言うものだ。

手に入れて欲しいものは、そんな誰にでも奪われるような、儚く、弱々しい、一時的な物ではない。

誰にも奪われやしない、心の豊かさと豊かな感性を、今の自分は、10年前の自分に一番手に入れて欲しいと思った。

それを手に入れる為には、美しさを見つける目と、痛みを無視できない柔らかい心と、傷つく事を恐れない勇敢な志だ。


その為には、美しくない物はなんなのかをしっかり自分の目で見る事。

愛される事や裏切りを知る事。いっぱい怪我をする事。自分を責める事。自分を許す事。自分を愛する事。人を愛する事。

これからは、素敵な10年が待ってるから、今を耐える事。

それが10年前の自分への私のメッセージだと思う。


Intersection & Union

 

今日は行く予定ではなかったらせん。の弾き語りライブに行った。

洋志さんのギターが壊れてしまって、私のギターを貸しに足を運んだ。


素敵な音楽に出会えた夜だった。

ライブを見てる時って、一番色んな思いが生まれる瞬間だと思う。

相手が素に近い気持ちを差し出してくれる瞬間だから。

「こんな風に思ってるよ」とか、

「こういう事は違うと思うんだ」とか、

それに対して、私の中で自然に会話が生まれてくる。


「私もそう思うな、その言葉を聞いてもっと自信がついたかも。」とか

「そう言う理解の仕方なんだ、でも私は違う様に理解してるな。」とか

私が私の考えと理解を持ち、誰かは誰かの考えと理解を持ってる。

それはきっと違うけど、違いはぶつかり合いじゃなくて、交換っこだと思う。


数学の中でもあった確か統計学の事を思い出した。


AとBの積集合は「A ∩ B」、つまり同じ部分しか取らない。

AとBの和集合は「A ∪ B」、つまり同じ部分と違いの部分も全部取る事。

「∪」はUnionと言う言葉であって、まさにその意味通りだ。


ライブを見る人は、 A ∩ Bの人の方が多いんじゃないかと今になって私はすごく思う。

同じ部分だけを求めて、自分の望む肯定を求めてライブハウスに足を運ぶ。

自分が良いと思う事の他人の肯定を求め、自分が悪いと思う事の他人の否定を求め、

結局何も変わらず、誰も変わらず、同じサイクルの中で回っている。

求めていたのは答えじゃないから、いつまでたっても欲しいものが見つからないし、

探し物がなんなのかさえ分からない。

これは、孤独だ。


私も孤独だった。

自分の考えとマッチするアーティストを必死に探してた。それでしか、自分を認める方法を知らなかったから。

見つけたは見つけたものの、そんなアーティストのライブを観ても、スカッとはせず、結局その場だけの発散と、終わった後の虚しさで胸がいっぱいだった。

A ∩ B ≡ A は何も変わらないと言う事だ。

私はずっとそれを嫉妬だと捉えていたけど、それは本当に嫉妬なのかもしれないが、嫉妬と言う感情は、人間の一番複雑な感情だと聞いた、だからそう簡単に、その感情の出所や引き金は見つからない。今になって、やっと分かって来た気がする。

それは、孤独だ。


自分を自分で認められず、他人を他人としても認めてあげれず、行き場のない、帰る場所もない孤独だった。

それはつまりA ∩ B ≡ Ø。 AとBが交差し、重なる部分が無い場合、AとBの元々持っていたモノも価値を無くし、ゼロになってしまうそんな孤独の計算式しか持ってなかったからだ。

そしてなんて劇的な事だろう、数学では「A ∩ B ≡ Ø」を「相斥事件」(相互排反事象)と呼ぶ。

つまり、矛盾であり、お互いを嫌うと言う事だ。
人は一人一人、必ず違う、もしみんなが同じ「∩」の計算式しか持っていなかったら、世界は争いしかないんじゃ無いかな。

私は昔、嫌いな感情をいっぱい持ってた。怒りも持ってた。でもいつのまにか、何に対しても嫌いな感情を持てなくなってしまった。何が起きたのかはずっと探してたけど、答えが見えた。

「A ∩ B」から、「A ∪ B」に自分の計算式を変えただけだった。

自分と他人の同じ部分を受け入れ、他人と違う自分の部分を受け入れ、自分と違う他人の部分を受け入れ、それが「A ∪ B」の計算式。



アートとは

 

今日は久しぶりに展覧会をいっぱい見た。

久しぶりに会ったちゅうたと丁度アートについて昨日夜話しをしてて、今日見た「アート」と「建築」は、かなり考えさせられたな。

前みむしゅんと話をした時も、芸術って一体なんなのかを再考してたのと似てる感覚。

芸術って、アートって、言い訳や逃げ道になっていないか。とそんなトークをした。

現代アートを理解できない私は、ずっとそこに違和感を持ってたんじゃないかって、今日ははっきり思えた。

そもそもアートも何も、作品と定義するのも、何でもない落書きと定義するのも、私は結局全部同じ物差しで測っていると思った。

私のその物差しは、時間、体験、思いの三つで構成してると思う。

現代アートを好きになれない、響かない理由もそこにある。

昔の油絵やデッサン、彫刻。私は完全にそれらの美しさを理解できると言える訳ではないけど、彼らは美しいと思える。だって、見えてくるのは目の前の作品だけじゃなく、その裏の歴史や、それにかけた作者の時間と思いだから。

その意味で、現代アートが私に魅力的ではない理由は、その作品に、作者の「心」がたりてないのかもしれないと思った。

作品を構成するのは、作者が生きて来た分の人生そのものだから。

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生き延びる力

 

浅草の町に今回は泊まってる。前グラハムとスケートのスポットを探しに来た町だ。

スポットも気に入ったし、あのスポットで暮らしている人達の事がすごく気になってた。


隅田川にいっぱいホームレスの人が暮らしている。

猫や犬を飼っていたり、仕事をしていたりしてる人もいる。

簡単な木材と鉄のパイプとブルーシートで出来ている家は、「キャンプ小屋」と言うらしく、私が行っていた場所は、団地の様に小屋を作れるスペースが橋の下のコンクリート地面の上で、白く囲まれていて、枠は一つづつ横並びで、番号が決められていて。その小屋たちは、2ヶ月に一回、必ず完全にバラさなければ、その場所で居続ける権利を奪われるらしい。


私が話をした上野さんと言う叔父さんが、そんな事を教えてくれた。


ここの皆は、ここでもう10年暮らしていて、彼はこの場所に移動してからもう3年は経つ。

上野さんは普段に仕事をしていて、小屋をバラす日は前日も仕事だから、いつも徹夜でやっているそうだ。


こうやって彼と色々話しをしていたら、私は思った。


例えば今の町の日常が何かしらで崩れたとして、いつも通りに生きていけるのはきっとこの人達なんだろうなと。


とても尊い。


どうやって、釘も打たずに風を忍べる小屋を作るとか、どうやって自分で発電するとか、どうやって上から降ってくる雨を避け、下から流れる雨水を引導するとか。


人として生きて行くための知恵と言うより、基本の生き延びる能力を持っている。


とてもとても尊い。