このPVのキャスティングでケニーから話をもらったのは、彼の友達の中で、私と言う人がとても独特な生き方をしているから、そしてこの曲はそんな人達を歌っているのだと。
すごく良い曲だなって初めて聞いた時思ったし、監督の感性で映像の出来上がりはまたその良さを倍引き出されている。参加できてすごく嬉しいし、今でも何回も見返して、毎回違う事を考えさせれられて、ありがとうと思っている。
私に自身ついては、現在日本に10年以上いる100%の外国人で、差別と言うものをそんなに意識していなかった、あるいはあまり意識しない様にしてきたんだと思う。
私は外国人だからと差別される以前に、人と考えが違ったり行動が違ったりする事の方が、生きててもっと多かったからかもしれない。差別とは?と考えると、鋭く激しく明確なモノだけじゃないと思う。
差をつけて扱う事、区別する事、それだけでも差別なはず。それなら、私たちは誰もかもが日常にしている事なんじゃないかとも私は思っている。
PVで話をしていたマゼンやモハくん達の様な露骨なモノじゃなくても、些細かもしれないが、自分が作った想像の枠に自分以外の誰かを嵌め込む全ての行動や言葉が差別だと私は結構思う。
この国のルールはこうだから、男はこうであるべき、女はこうであるべきだとか、このローカルではこういう決まりがあるからとか、そう言ったことは全てそうで。ルールは別に悪ではない、ルールはむしろ善のはずの物だ。人は所詮自分の事しか分からないし、自分の事さえ分からない時だって多い、だから自分以外の人の事なんてもちろんもっとそう。現実は日々変わる物である以上、人はみんなそれぞれ違う以上、差別や区別は、無くしようがない事であると思う。
だけど、他人への想像力を持つ努力をする事は、環境や社会の変化を感じて、それに違和感を感じて変わりたい何かを変えたいと少しでも行動する事はできるはず。自分が人生でされて嫌だと思った事、向けられた嫌だと思った言葉、それらを2度と他人に与えない事。何かおかしんじゃないかと、本当にこれで良いのかと、疑問が浮かんだ時に、自分なりにちゃんと誤魔化さず流さず、考える事。行動はまたその次で良いが、せめて考える事。それだけで充分なんじゃないかと思う。ケニーがこの曲作った様に、ケニーがこの曲に込めた思いの様に。
結局大事なのは、「どんな」正義を語る事でもなく、「どんな」正論を話すのでもなく、「どんな」結果をもたらすのでもなく、「どう」思うのか、「どう」それを話すか、「どう」行動するか。
私達は私達の想像してる以上に、自分の思う事、使う言葉、日々の行動から、自分と言う人間の「在り方」が溢れて、漏れているのだと思う。だからこそ、言葉にしたり結果になる以前に、その過程の中で、隠そうとした物が隠せてなかったり、言えなかった事が案外伝わったりもする。そしていつもの間にか誰かを傷つけたり、その反対救ったりもする。話が逸れたのかと自分でもちょっと思ったんだが、いや、差別においての話も一緒なんだと私は思う。
自分が「そう思っているから」、「そうじゃないと言葉にしても」、「そうだと伝わってしまう」。
自分が「そうじゃないと思ってるから」、「どんな言葉や行動に変えても」、「それはそれで伝わる」。
つまり「差別してるから」、「してないよ」と言っても、「している」し、「差別とか違いとかどうでも良い」、と思ってるから、「ブラック?中国人?ゲイ?それがどうした?」を言葉にしてもしなくても、「この人は私をただ一人の独立した人間としか見ていない」は伝わる。
この曲の中でも歌っていた様に、言葉と行動が伴っていないと、結局は逆効果でしかないので、散々愛だの自由だの平等だのをかざした所で、ある物はあるし、ない物はない。本当は全ては思いから始まって、思いで伝わって完結する物なのかもしれない。
この世界は矛盾だらけであって、人の感情も矛盾だらけであって良いんだと思うし、もし個別扱いが差別なら、特別扱いも差別である。されて欲しい差別と、されて欲しくない差別は、実は表裏一緒だったりする。だったら、全部が正解で、全部が間違えでもある。誰が正しいなんて誰にも分からない。でもやはり、愛は愛を呼びし、写す。本物の愛を呼べるのも本物の愛でしかないと思う。
好きな物を好きだと言い続けないと、好きな人は寄ってこないし、嫌いな事を嫌いだと言えてないままじゃ、嫌いは離れてくれない。いつまでも出し惜しんでじゃ、誰も見つけられないし、誰にも見つけられてもらえない。自分が持つ自分にしか持っていない感情や思いや性格、人格。私たちは一人一人、まず自分のPersonalityを見つけ、作り出さないといけないんだと思う。普通なんてどこにもないし、普通なんてどこにもないから素晴らしいと思うし、人は誰しも違うから、人は人と区別がつく。そしてその区別は、違うから恐る、攻撃し合う差別であって欲しくないと思うし、愛を持って恐れをも抱きしめてあげて、お互いを認め合う区別であって欲しいと思う。心から思うし、私はそう日々言葉にもするし、行動にもする。